2012.05.15

沖縄のさらされて来た現実に「確かな記者の目」・・・。

琉球の時代から「清国」と「薩摩藩」から圧され続けてきて(NHKドラマ「テンペスト」などを鑑賞されるとよい)、そして幕末には西洋諸国から。太平洋戦争では、「本土の楯」として米軍から凄まじい集中攻撃を受け多大な死傷を被ったことは、本土の誰もが知っていることであろう。

そして、その後は、連合国の中の力関係で、アメリカの単独講和となり、不幸にも日本の領土ではなくアメリカの統治下におかれた。私も復帰前から沖縄線や沖縄経由香港行きなど数々の乗務を体験してきた。経由便ではトランジットの乗客からも全員パスポートを集め、イミグレーションに提出したものだった。

通貨は、ドル、街中は、まさに「アメリカ」という風景に複雑な思いも抱えた。

40年前に「本土復帰」を果たしたものの、米軍基地・米軍専用施設は、本土から沖縄に集約され、日本駐留米軍基地の「74%」は、ここにある。

騒音はもとより、基地が邪魔をして公共の交通機関に電車がなく、利用できるのは割高なバスか乗用車。その上、さらに、日本国内でありながら日本の法律が適用されぬ屈辱的な「日米地位協定」が立ちはだかっている。

心が痛む中で、「4か月居住して取材した」記者の目は、多くを語らずとも鋭い指摘を感じるものでした。

深夜も騒音、これが沖縄の日常 普天間隣接地区で記者4カ月生活 

朝日新聞 2012.5.14 夕刊

 沖縄の米軍基地の騒音問題を取材すると、いつもふたつの声に戸惑う。「うるさくてたまらない」「音は慣れるよ」。ならばいっそ、住んでみよう。沖縄県宜野湾(ぎのわん)市。36歳の男性記者が福岡市から長期出張し、15日の復帰40年に向けた取材をしながら、米軍普天間飛行場=キーワード=に接する上大謝名(うえおおじゃな)地区で4カ月間暮らした。
 アパートに初めて向かったのは1月中旬。車を降りた途端、甲高い風切り音が迫ってきた。空中給油機が頭上を覆う。「でかい」
 米軍基地のある山口県岩国市に2年半住んだ。だが、こんなに近くで飛ぶのを見たのは初めてだった
。 上大謝名地区は滑走路の延長線上にある。うるささ指数の月平均は87(4月)と環境基準の70を大きく超える。騒音発生回数は1日平均43・3回(同)。そこに約700世帯が暮らす。
 部屋は3階建てアパートの2階。翌朝から、ヘリの音が目覚ましになった。夜、大型トレーラーが向
かってくるような音に身を硬くした。途中から混じる金属音で飛行機とわかる。日米が制限する夜10時を過ぎても、飛ぶことは珍しくなかった。初めは音のたびにカメラを抱えて外に飛び出した。でも、きりがない。1カ月ほどたち、あまり気にならなくなってきた。
 それがもう一度覆ったのは、3月上旬の朝だった。「今日は休み」と布団に入り直した時、威圧感の
ある連続音がきた。2004年に沖縄国際大学に墜落した大型輸送ヘリCH53。音で機種が分かる。

ボバボバボバボバ。来た。音が重い。ああもう、本当にうるさい。 こんなに怖い音だったか。仕事として音を「待ち構えていた」時には感じなかった不快さ。これが、宜野湾に暮らす人たちが言う爆音なのだと実感した。
 米軍には日本の法律が及ばない。文句の言いようがないという閉塞(へいそく)感。 だからなのか、喫茶店のマスターも、理髪店主も、焼き鳥屋のおじさんも「音を気にしていたら生き
ていけない」と口をそろえる。
 一方で飛行場内に土地を持つ軍用地主でさえ「『金をやるから文句を言うな』という音でもある。時
々、撃ち落としたくなる」と言う。
 4カ月間暮らし、どちらの気持ちも少しわかる。うるさい。でも慣れる。だけどうるさい。でもどう
しようもない。同じ言葉が頭の中を巡る。問われ方次第で「耐えがたい」とも「慣れる」とも言える。矛盾を突きつけられ何十年も暮らす苦しさ。まして家族が一緒にいたら……。
 夜も窓を開けて寝るようになった4月中旬、上大謝名地区では今年最高の119・9デシベルを記録
した。120デシベルは「ジェットエンジンの近く」に例えられる。でも上大謝名地区では、それは例えではなく現実そのものだった。(上遠野郷)

 ◆キーワード
 <米軍普天間飛行場>
 ヘリコプターなど約50機が常駐する海兵隊の基地。宜野湾市の面積の4分の1を占める。1996
年に返還が決まったが、移設先が決まらずめどが立っていない。計396人が国を相手取って起こした普天間爆音訴訟では、全員への賠償を国に命じる一方、夜間・早朝の飛行差し止め請求は退けた2010年7月の二審判決が確定。今年3月、3129人が2次提訴した。

 

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