2011.09.11

「大メディア」は、福山雅治さんの言葉に反省をしなければならない!

菅政権以来、震災後の悲惨な状況は何も変わっていません。原発問題も「核心」には、なるべく手を触れず、「東電型の経営」が生き延びるためだけのスキームづくりに励んできたというのが唯一の結果という有様です。

「小泉政権時代の財政諮問会議」と同じ役割の「国家戦略会議」はじめ「事務次官会議」「政府税調」に「党税調」

まさに、「会議は踊り」、30年の自民党政治に逆戻りするばかりで、被災地・国民は、呆然と待たされっぱなしとなります。野田政権となっても、この枠組みから一歩も出そうにない、というのが正直な感想です。

各種放射能要素の汚染も、事実(日本原子力開発機構の発表によれば、福島第一原発事故で、海洋への放射能放出総量が1.5京ベクレルを超える、とのことです。日本のまわりは、汚染でいっぱいという恐ろしい光景ではありませんか。)

まさに、「国家」が動かず、政治は、ぼろぼろで、被災地やニッポン全土が泣いている状態です。

その上、台風に追い打ちをかけられて、災害被害は増すばかりです。

国民の心情を鼓舞し、励ましてきた「がんばろう日本」キャンペーンも、「国」が動かなくては、色褪せて虚しい響きに聞こえてきます。

「大増税を呑まなければ・・・」という人質のような、戦略は、成功しても、円高・不況は更に促進するばかりで、「国が滅びてしまうのではないか」という不安を掻き立てられているのが実状でしょう。


この間、メディアは、こういう政治のあり方にどこまでの批判をしてきたのか、隠ぺいされている原発関係の事実を国民にどこまで伝えてきたのか、という点で、猛省をしなければならないのではないでしょうか。

「天声人語」は、良い点を衝いているいると思う反面、自らを第三者のように考えていることに大きな違和感を感じました。

震災半年の光と闇

2011.09.10 朝日新聞 「天声人語」
 歌手の福山雅治さんがアエラ誌上で語っている。「曖昧(あいまい)で詩的な表現、例えば『虹を追いかけて』『あの空の向こうへ』みたいな歌詞は、今は何か違う……より視覚的に、はっきり言葉を届けていこうというのが、2011年以降の僕なのかも」と。

 震災後に再開したツアーでは、電力を食う派手なセットをやめ、収益を被災地に贈る東日本応援シートを設けた。長崎出身の被爆2世は「いま生きている僕らは、元気に、これまで以上に頑張る」と、ステージに立つ。

 明日であれから半年になる「がんばろう日本」の連呼も、なかなか被災者の生活再建につながらない。福山さんが音楽で率先するように、必要なのは虹より傘、空ではなく大地、目に見える支えである。

 過日の紙面で、手つかずの被災地を語る写真を見た。事故原発に近い福島県浪江町。野生化した牛の群れが、草ぼうぼうの校庭を疾走している。警戒区域は放射能に汚れたままだ。宮城、岩手県でも、政府の対応の遅れから復興計画が固まらぬ自治体が多く、被災者は将来図を描けない。

 そんな折、福島の産品を応援する福岡市での企画が、「放射能をばらまくな」といった抗議で中止された。一部の声としても、東北との悲しい隔たりを突きつけられた思いだ。

 遠方の惨事を見聞きするたび、他人事と高をくくるのが人の常だが、一国を揺るがすほどの災害に部外者はありえない。ならば真剣にかかわりたい。節目を前に、震災を巡る光と闇に触れての思いである。

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