2011.06.22

ロシア機墜落!「生存者あり」で想起!「モスクワ墜落事故・・JAL1972年」

「ソ連」が「ロシア」となり、モスクワの国際空港が「シェレメチボ」から「ドモジェドボ」に変わろうとも、1972年の「ニューデリ-・モスクワ・クアラルンプール」という連続事故を忘れることはできません。

特にモスクワ線は、当時私は数年間貼りついて乗務していたこともあり、墜落事故の中で生存者がいたことも「奇跡的出来事」として今もって強い記憶があります。

今回のロシア機事故でも、一名の乗員を含み生存者8名とのこと、事故原因追求の大きな手がかりになることと思います。

事故で亡くなられた乗客乗員の方々のご冥福を祈ります。

   ロシア旅客機、不時着失敗で炎上 44人死亡
  

2011年06月21日 17:17 発信地:モスクワ/ロシア

【6月21日 AFP】(一部更新)ロシア連邦北西部、カレリア共和国で20日深夜、ルスエアー(RussAir)のモスクワ(Moscow)発ペトロザボーツク(Petrozavodsk)行き旅客機ツポレフ134が、空港近くの高速道路に不時着しようとして失敗、報道によると44人が死亡した。

 モスクワ郊外ドモジェドボ(Domodedovo)の空港から飛び立った同機は、現地時間の真夜中近くに空港から約2キロ離れた高速道路に不時着しようとしたが、道路にたたきつけられ、炎上した。

 同共和国非常事態省の現地事務所によると、午後11時40分にパイロットとの交信が途絶えた。重傷を負っている生存者8人がペトロザボーツクの病院へ搬送された。

 ロシア通信(RIA)によるとロシア連邦捜査委員会のウラジーミル・マルキン(Vladimir Markin)報道官は「搭乗していたのは乗客乗員計52人で44人が死亡、8人が負傷したというのが最新の情報だ」と述べた。記者会見では、航空輸送法の側面から刑事捜査を開始したと発表した。

 事故の原因は現在のところ不明だが、ロシアの24時間報道テレビ局ヴェスチ(Vesti)は航空関係筋の情報として、事故現場付近が当時、悪天候だったと伝えている。人為的原因の可能性も排除されていない。

 一夜明けた21日、同省は生存者8人のうち2人は、極東サハリン(Sakhalin)島出身のアナスタシア・テレヒナ(Anastasia Terekhina)ちゃん(14)とアントン・テレヒン(Anton Terekhin)君(9)の姉弟だと発表した。一緒に搭乗していた母親のオクサナ(Oksana)さんはこの事故で亡くなった。また生存者の中に1人だけ搭乗員がいるという。(c)AFP

1972年 モスクワ墜落事故

JA8040 モスクワ事故

事故概要:
    1972年11月29日、コペンハーゲン発モスクワ経由東京行き日本航空446便は、モスクワのシェレメチボ空港滑走路から離陸滑走を開始し、浮揚後100メートル程度上昇し、その後急激に下降し始め、地面に激突して大破炎上しました。

乗客・乗員62名が亡くなられ、14名が重傷を負われました。

推定原因:
     離陸後の飛行中、誤ってスポイラを出したため、航空機を臨界迎角以上に   至らしめたか、凍結のため、第1または第2エンジンの作動が異常となり、正常に操縦できなかったと推定されています。

JAL安全啓発センター の「JALグループにおける123便以外の主な事故」より

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