2011.03.23
私達も、 いや応なく、「原子力」と対峙することに!
政府の原発対処の初動ミスがどんどん深い穴に行くような気がしてなりません。
~何これ???としかコメントできません~
安全性に問題…保安院検査官、原発から一時撤退
(2011年3月23日01時34分 読売新聞)
東京電力福島第一原子力発電所の事故に絡み、経済産業省原子力安全・保安院の検査官が事故発生後に約1週間、同原発を離れていたことが分かった。
西山英彦審議官は22日の記者会見で、一時撤退した理由について「安全性に問題があり、人間が暮らすには不便が多かった」と述べた。
検査官は各地の原発に赴いて、原発の運営を監督している。保安院によると、今回の事故では検査官7人が同原発で業務に当たっていたが、15日に現地本部が福島県庁に移った際、ともに県庁へ移動。22日に、検査官2人が同原発内の施設に戻った。
西山審議官は、「食料をどう運ぶかという問題もある。組織的な後方支援体制が取れなかった」と説明。「最前線で実態を見ずに東電側にアドバイスできるのか」と問われると、「そこは選択の問題。色んな困難を考えて当時は出たが、再配置した」と答えた。
~更に~
東日本大震災:福島第1原発事故 保安院、お粗末 資料、日本語で--IAEA説明会
毎日新聞 2011年3月22日 東京夕刊
【ロンドン会川晴之】福島第1原発事故状況説明のため、国際原子力機関(IAEA、本部・ウィーン)で21日開かれた各国外交団向けの技術説明会で、日本から初めて出席した経済産業省原子力安全・保安院の担当者が、日本語の資料を配布していたことがわかった。出席者によると、お粗末な対応ぶりに席を立つ外交団の姿もあったと言い、日本政府の説明不足に対する不信感が高まっている。
原発事故に関する日本政府の情報開示をめぐっては、米政府関係者が日本政府に、情報発信を強化するよう要請するなど、各国に不満が高まっている。IAEA加盟国にも同様の不満が高まっていることから、天野之弥事務局長が18日に訪日した際、日本政府と情報共有を図るため、日本人の調整官を日本に常駐させることを決めた。さらに、政府も保安院の担当官をウィーンに派遣することを決め、21日の各国向け技術説明会に初めて出席させた。
説明会では、説明や質疑応答は英語で実施され、現在の概要を説明する英語版の資料が映し出された。だが、
(1)福島第1原発周辺の放射線量測定値(2)福島県対策本部作成の福島県内測定値--の2種類の日本語資料が配布された。
日本語資料を基に韓国の代表団は、放射線量が上昇した時、原発でどのような事象が起きたのかと因果関係を尋ねたのに対し、保安院担当者は「因果関係を詳しく把握していない。調査した上で回答する」と述べたという。
IAEAは、日本政府の情報発信が少ないとの批判を受け、先週から加盟各国向けに技術説明会を連日開催している。日本政府に専門家派遣を強く要請したが、かえって不信を増幅した形になった。

コメント
レミング、、、、、この小さなネズミの何百万という大群が、4年ごとに狂ったように、ノルウェーの崖や海岸から海にはいっておぼれ死ぬという話がリーダーズ・ダイジェスト社の <世界不思議物語> に書いてある。
私は、敗戦直前のわが国における一億総玉砕の話を聞くたびに、この小さなネズミの話を思い出す。
半ば本能にも近いこの種の日本人の行動を回避する手段はないものだろうかということである。
日本語の特質は、団結性 (solidarity)、信頼性 (trust)、仕事熱 (work enthusiasms)、および 忠誠心 (loyalties) を高めることである。
日本人は、日本語のおかげで国を技術立国となし、経済大国とした。細工物の工夫と序列協力による民の力が大きくものを言ったのである。
だが、日本語にはリーズン (理性・理由・適当) 概念がないので、リーズナブルな (理性ある・理由となる・適当な) 答が出せない。
リーズナブルな現実対応に行き着くこともなく、一億総玉砕の危険性もある。
アンリーズナブル (理不尽) な結論の下に、団結性、信頼性、仕事熱、および 忠誠心を強く求めれば、国民は「聞け、わだつみの声」の状態になる。
つまり、<きけわだつみのこえ> の中で、渡辺一夫は「不合理を合理として認め、いやなことをすきなことと思ひ、不自然を自然と考えねばならぬやうに強ひられ、、、、、」と書いている。
どうしてこのような倒錯が起こるかといえば、「不合理、いや、不自然」が「今ある姿」であるのに対して「合理、すき、自然」は「あるべき姿」の内容である。
日本語脳では、「今ある姿」と「あるべき姿」並置は不可能であるから、「今ある姿」が切実な要求となれば、「あるべき姿」は脳裏から消えてなくなる。それで、この国の万事が気違い沙汰となる。律儀な日本人のだらしなさである。
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。
、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、
西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)
もしもこの先、我々に理性が獲得できず、理性判断が不可能な状態が続くのであれば、我々日本人は理不尽な答えに対して現状打開の方策もなく、ただただ耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び続けることになる。
逆に、英語を学んで日本語思考の拙さを補えば、日本人は鬼に金棒の民族となる。
英語の普及を図るために、英語をわが国の第二公用語とすることが望ましい。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
投稿者: noga
トラックバック
この記事に対するトラックバックのURL:
この記事へのトラックバック一覧です:
Copyright (C) 2001 - 2004 Hideshima Issei All rights reseved. p>