2008.05.21

国際線、「成田」を放りだして、「羽田へ」の風向き!無責任な日本の航空行政を際立たせるもの・・・。

成田空港が開港してからはや30年の月日が流れました。私の場合、乗務生活30年のうち、10年間は羽田から世界に飛び立ち、その後20年を「日本の表玄関は「成田」として過ごしました。

新たな空港誕生へは、「地元のOKも取り付けないうちにただただ強行突破」したことが、その後の反対闘争の怨念ともなってしこりを残しています。騒音問題などにも短期間のうちに「お国のためだから強制収用も当然」という態度が地元との関係を悪化させていました。政府の方針の下に行動する警察官にも犠牲を出しました。そうした歴史を踏み越えて1978年5月20日開港したのです。

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私の感想から申しますと、「成田空港」(当時は新東京国際空港)は、完成した時点で既に世界の大空港と比較して機能性から言えば「古い」という印象を持ったことを記憶しています。ではその後に、どういう改善をほどこしてきたのでしょうか。ターミナルビルが増設されたりはしていますが、基本的な機能である、滑走路は、手付かずに近い形で推移し、アクセスについても本来あるべきというか、公約どおりには進んでいない実態で、いまひとつ利便性にかけています。(左は到着一番機JAL446便 毎日新聞より)

こうした中で、国内では需要予測をいい加減に見通し、「一都道府県に一空港」などの政策を、「空港整備特別会計」という中で次々にこなし、自治体の財政悪化を招く一方、アジアをはじめとした世界の中での「ハブ空港」はどうあるべきか、という戦略もいい加減に推移してきました。アジア諸国は、国の総力を挙げて「空港インフラ」を整備しています。日本といえば、受益者負担の「特別会計」を主にしており、国の総力(一般会計の投入)を挙げる「戦略性」「機動性」とは、遠い実情です。

2007

その当然の結果として、いまや「香港」「インチョン」「北京」「シンガポールチャンギ」「クアラルンプール」「タイ・スワンナブーム」などに利便性を奪われ、日本のアジアにおける「空の拠点」は、大きくその価値を下げ続けました。

まさに、「民間航空の発展のための行政欠陥」が噴出しているわけです。アジアから取り残されてきたので、「国際線を羽田に」という無策、恥ずかしい限りと感じます。数年前から「チャーター便なら羽田から」「近距離国際線は、羽田に」などとじわじわ「羽田の国際化」への布石を打ってきた上、都知事や一部の政治家が、今までの政府の航空行政責任を放棄し、何もなかったように「利用者の利便性のためには羽田が良い」などと聞いたようなことを言っているのは、まことに不快極まるものです。副知事に就任した猪瀬氏は、「国交省の役人は何をやっているのか」などと国交省のせいにする一方で、こうした歴史には「ふたをしたまま」、石原知事のお先棒を担いでいます。国際線増便など羽田に主力をおいた場合、航空路の関係で、かつてない規模で航空機は千葉県上空を飛行します。「成田にダメッジを与え、騒音や危険は東京の肩代わりをする」ことに、堂本千葉県知事が、怒りをあらわにするのもうなずける面もあります。航空に精通したというある学者などは「都民にとって便利だから。外国の方にも評判がいいから」などといっていますが、それなら「なぜ、はじめから、羽田増強、横田返還」などで首都の空港を整備することに、しなかったのでしょうか。本当に、いい加減です。

40年に渡り、「日本の航空と空港を見続けて来た者」の一人として、今後も意見を述べてゆきたいと思います。

羽田国際線枠、倍の6万回  再拡張で定期便就航
             2008/05/20 02:03   【共同通信】

 国土交通省は19日、2010年秋の羽田空港再拡張に伴う国際定期便の発着回数について、当初予定していた年三万回から深夜早朝帯の活用で6万回に倍増させる方針を決めた。航空自由化などをテーマに20日開かれる政府の経済財政諮問会議で、民間議員が発着回数の倍増を提案するのを受けて、冬柴鉄三国交相が表明する。

 羽田空港沖では2500メートルの第4滑走路を建設中で、10年秋の運用開始で昼間に11万回の発着枠が生まれる。国交省はこのうち3万回を国際線定期便に充て、近距離のアジアへのビジネス路線として昼間だけ就航させることを想定。

 しかし今回の増枠は、これとは別に3万回分を成田空港が閉鎖されている深夜早朝帯を中心に確保し、欧米を含む世界の主要都市に就航させる計画だ。

 午後11時から午前6時までの深夜早朝帯は利用客にとって不便なダイヤとなるため、前後の午後10時台と午前6時台も、成田空港と国際航空機能をリレーする時間帯と位置付け、羽田空港の国際線の到着と出発のいずれも可能にする。

成田開港30年 強引と無策の重いつけ

                   5月20日 北海道新聞                                             成田空港はきょう、開港から三十年を迎えた。 年間の乗降客数が三千万人を超え、世界六位の巨大な空港に成長しながら、二本目の滑走路がなお整備途上にあり、使い勝手も悪い。 成田は日本を代表する国際空港として誕生したのではなかったか。  にもかかわらず、空港整備は遅々として進まず、その一方で政府は関西や中部など大規模空港を次々とつくってきた。 成田を戦略的にどう位置づけていくのか。政府の一貫した方針が見えない。この節目にしっかり考えるべきではないか。 直面する課題のひとつが滑走路の問題だ。 四千メートル一本で開港した成田に新たな滑走路が誕生したのは二十四年後の二〇〇二年だった。  しかし、地権者との用地交渉が難航したため、いまだにジャンボ機の発着もできない二千百八十メートルの暫定滑走路のままだ。 一〇年にようやく二千五百メートルまで延伸されるが、誘導路が「へ」の字形に湾曲するなど異様な滑走路の状況は改善されるめどがたたない。 地元住民の激しい反対を押し切り、多大な犠牲を払ってつくられたひずみがいまだに残っている。  着陸料は世界一高い。騒音問題から深夜早朝の離着陸ができない。  利用者にとっては都心から六十キロも離れアクセスも悪い。地方空港との接続も整備されていない。

 これではアジアで最も不便な空港と言われても仕方あるまい。 その存在を根底から揺さぶっているのが「国際線は成田、国内線は羽田」との役割を見直す動きだ。  羽田には一〇年に四本目の滑走路が完成する。これに伴い発着枠は年間十一万回も増える見通しだ。東京都などはこれを羽田の国際化を推進する最大の理由に挙げている。  政府のアジア・ゲートウェイ戦略会議も羽田の利用拡大の必要性を認めている。 これでは政府自ら成田の地位を低下させているようなものだ。

 政府はすでに条件付きながら、羽田発の国際線開設に道を開き、ソウル、上海の定期便に加え、今年四月からは香港便の就航を認可した。  このまま羽田の国際化を推し進めるなら、国際便の仕分けを含め納得のいく説明が不可欠だ。  成田を運営する空港会社の完全民営化と株式上場が〇九年度に迫っている。空港内にはまだ未買収用地を抱えている。その前途はなお視界不良といっていい。  政府が今後とも無策ともいえる航空行政を続けていくならば、地盤沈下は避けられない。

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