2006.08.12

「われわれの考える安全と言うものに隙があった」

            日航123便事故から21年めの今日・・。何を思うべきでしょうか。~

「われわれの考える安全というものに隙があった」。これは、パロマ工業の小林敏宏社長が7月19日に記者会見で述べた言葉です。ここに至るまでは、「機器に問題はないとする主張」を繰り返していたのですが・・。
そして、さらに「世界一安全な製品を作るという誇りを持ってやってきたが、どこかにおごりがあったと反省している」と謝罪しました。

航空界では、事故・トラブルを起こしたエアラインは、「安全第一」「安全最優先」「安全は最大のサービス」「安全運航に祈りをこめて」など考えられるだけの「美辞スローガン」を繰り返してきました。JALにおいては、、この御巣鷹山事故後でも「安全推進本部」設置だの見かけだけは格好がついた施策を行って来たものと思います。

しかし、連続するミスやトラブルで昨年5月には、国交省より「事業改善命令」まで受けてしまう始末となりました。

もともと、この123便墜落事故については、事故調査委員会の結論が、「機体製造メーカーのボーイング社の修理ミス」を主たる理由と出たことで、運航側のエアラインの刑事責任を問われることもありませんでした。しかし、本来であれば、これを機会にエアラインとして「真摯」に「整備システム」や「社内のモチベーション欠落の原因」の病理に触れて行くべき時期にあったのですが、残念ながら抜本的な病巣には触れないまま来たことで誠に憂うべき事態に陥っています。

個人的なことで言えば、この123便には、私の可愛がっていた客室乗務員、日々乗務した中で信頼を交わしていたいた機長も、最後の瞬間を「職業人として壮絶」に生きました。私のみならず、すべての乗員・乗務員は旅客の安全を守るため、同じ行動をしたと確信できます。

この点では、旅客と乗員の間には何の隔てもないと思います。

NHKで放映されましたが、事故発生した数分の間に「緊急着陸と脱出の際の手順と乗客へのアナウンス」書き留めていた遺品ノートも、多くの旅客の走り書き遺書とともに公開されていました。いずれも胸を打つと言う表現しかありません。

7月24日、JALのお世話で「安全啓発センター」を見学いたしました。実のところ、私は残骸の展示などいまさら拝見したいとは思ってはおりませんでした。私の乗務した30年の間には、さまざまな事件がありました。
サンフランシスコ沖着水事故、インド「ジュフ空港誤着陸」、そして「ニューデリー・モスクワ・クアラルンプールの3大連続事故」「羽田沖事故」などで、事故の悲惨さ、酷さ、はいやと言うほど知っているからです。

社会的には、あるいは、メディア的には、「御巣鷹山登山で21年目の鎮魂」と言う風に通り過ぎることに、心の中で抵抗がありました。

しかし、今回の「展示」を拝見したことで、また新たな勇気にエネルギーが加わりました。。

顧みしますと、クアラルンプール事故でなくなられた客室乗務員のお葬式に出席させていただいた時のことでした。あれは、千葉の鴨川でした。潮のにおいがする静かなお寺の「墓」の前で10数名の同期乗務員が何時止むともなくすすり泣いておりました。私はこの時「悲しいのは皆同じだ。しかし、たまたまこの便のスケジュールを取らなかったという幸運だけで私たちは生きている。悲しみのあと、生き残った私たちが『貴女の変わりに、生き残った私たちが頑張ってこんなに安全な日本航空にしたよ。』というお供えを持ってこれるかどうかが、本当の友を思う気持ちではないだろうか。」と申しました。

私は、この時のことを今も忘れず、微力ながら「利用者本位の安全で快適な航空」をめざす評論をこつこつと続けております。私も60歳となりましたが、123便事故後「21年目」にして誓いを新たにしたいと考えております。

話は、戻りますが、123便事故については、「展示」を見て何を感じたかと言うことです。
ニューデリー事故では、着陸時に着物を着用していた客室乗務員のご遺体は、燃えて「歯型」しか残らなかったこと、クアラルンプールでは、着陸当時バケツをひっくり返すような大雨で、他のエアラインはシンガポール空港などへ皆ダイブアウトし、JAL機のみ果敢に着陸を試みたのでした。その結果の事故でした。後輩のパーサーは、着陸時のとんでもない衝撃で頭を打ってなくなりました。ヘッドレストもついていなかったためです。

「墜落の残骸」は、もともと遺族あるいは航空の現場などからは「残すべき」と言う要望が出ていたのですが、ついこの間までは、エアラインは「廃棄する」という意思を変えませんでした。しかし「事業改善命令以後の有識者提言=柳田邦男座長からの提言」もあって安全啓発センターとして残った経緯があります。

この場所は、「鎮魂」だけでなく「事故を起こせばどんな実態になるのか」を広く体感でき、かつ「安全を阻むものはなにか」へと追及してゆく原点ともなるだろう。というのが私の感想でした。

最後に、冒頭に掲げた言葉は、そのまま航空に戴きたいと感じています。
現場の危機感と経営の「安全への定義」に差がありすぎたまま、延々と時が流れていることへの猛省です。
「世界一安全な製品を作るという誇りを持ってやってきたが、どこかにおごりがあったと反省し」
絶対に「落としてはならぬ」という気概と内容を、経営の根本に据えていただきたいと切に考えるからです。

亡くなられた方々への約束を守るための時間は、そんなに余裕はありません。

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