2005.09.09

「自分の切り口」があれば、「世界は、あなたの手の上に・・。」

(61)
         
  ~Hawaii~編です


私は、「飛行機に乗る」ようになってから特に、「ありふれているように思えても、いったん、刻んだ『時・その瞬間』は、留まることもなければ逆回転をして戻ることもなく、増してやデジャブ(同じ繰り返し)をすることもない」という強い「思い入れ」を持つようになりました。これは、「いったん間違えば、再び生還することもないかもしれない!」という仕事柄からきていたのかも知れません。見方によれば、「悲痛」とも思えるこの思いなんですが、私は、「たとえ『一瞬の間』でも大事に生きよう、何でも思いっきりやらなくちゃ・・」と組み替えてやって参りました。

そして、「同じ風景」「同じ場所」「同じ過ごす時間」でも、いつしか「自分なり」の切り口がひろがってきました。「旅」を通じての”趣味の世界・・「ミュージカル」「コンサート」「スキー」「ゴルフ」「casino」「ショッピング」に絡んだお話をいくつかしてみたいと思います。
「世界を貴方のもの」にするためのヒントにしていただければ幸いです。

                幕開けは、「ブルーハワイ」・・・から。

「ブルーハワイ」というエルヴェス・プレスリーの主演映画があります。私が確か高校1年の時に日本で公開されました。有楽町の映画館でこれを見たときのカルチャーショックがどの程度のものだったかは、そのとき、まる一日席を立たずに3回観てしまったことを告白いたしますが、これで、お解りいただけるかと思います。

ミッチー・ゲイナー, ロッサノ・ブラッツィ主演の「南太平洋=SouthPacific」に続くプレスリーの「Blue Hawai」が火をつけた形で、当時の日本は、空前の「外国といえばハワイ」という憧れの熱気が湧いていました。それまでの岡晴夫さんの「憧れのハワイ航路」が船乗りが主役であった時代からすれば更に身近な存在になってきました。ロート製薬の「アップダウンクイズ」の賞品は、「ハワイ旅行」、サントリーは「トリスを飲んでハワイへ行こう!」のフレーズで大躍進。ハワイへ行きたし、しかし先立つものが・・という人には「常磐ハワイアンセンター」まで出現したくらいでした。そして、大量輸送=パッケージツアー=格安団体運賃の尖兵ともなるB-747、いわゆるジャンボ機の出現は、「誰でも行ける海外旅行」を現実のものとしました。大きな飛行機には、沢山のクルーが必要になります、航空会社は、先を見て乗員の養成にかからねばなりません。「パイロット」であれ「客室乗務員」であれ、とにかく「乗員=クルー」になることは、「夢のハワイ」へ行く最短距離でしたから、当時の募集に「この波を逃してはならじ」と必至で食いついていった若者がいたことも、ご賢察のとおりであります。

さて、その若者の初フライトは、夢にまで見た「ハワイ」を経由して「サンフランシスコ」へ行く便でした。「ホノルル国際空港」へのアプローチしてゆく中、蛍光灯の白いそれではなく、だいだい色の暖かなぬくもりのある街の灯から、椰子なのかシュロなのか、バナナなのか
とにかく緑に囲まれたエアポートにランディングしていったその光景は、遠い記憶ながら忘れられぬ「シーン」となっています。シップはジャンボ機もなく、世界の航空は、ボーイング707かダグラスDC-8で2分されていた時代です。ちなみに日本航空はDC8を主力機としていました。そしてサンフランシスコへダイレクトでは、飛べず、ホノルルを経由していました。従って夜中に到着なのです。現在のホノルル便は、必ず早朝に到着と相場は決まっていますのでこんな光景は今では体験できませんね・・。

映画「ブルーハワイ」の中では、プレスリーが、軍隊から兵役を終えてハワイに帰郷するシーンがオープニングです。用意された舞台は空港になります。まず、今の巨大な「ホノルル空港」とちがって本当に土の匂いがするローカルリゾート空港の装いをうかがい知ることが出来ます。なにしろ到着後は、タラップの下でウエルカムのフラダンス、乗客は一人一人首からレイをかけてもらっています。この当時、世界の航空会社といえば、「パンアメリカン航空」だったのですが、プレスリーが故郷ハワイに錦を飾った使用機は、今も活躍している「ユナイテッド航空」でした、これは驚きです、最近そこに気が付きました。何十回も見ているんですが再発見でした。さて、一度でもハワイに行かれた方は、ご存知「ハナウマ ベイ」。ここはこの「ブルーハワイ」の撮影に使われたことでつとに有名ですが、よく映画のシーンをみていると、プレスリー演ずる「チャド」は、道路からそのままこのビーチへ乗り入れています。勿論映画制作上のつなぎ合わせなのですが、ハワイ通なら、「ふう~ん」と想うところでしょう。また、ワイキキのカラカウア通りにある名物「インターナショナルマーケットプレイス」もちらちらと登場します。通行人に日本人が映るわけもなく、周辺の建物、今なら「クレージーシャツ」の店舗があるところなども撮影されています。いまや、「ハワイ今昔」を「DVD」で一時停止してゆっくり見比べられることもできるわけで、うんちくもかたむけ放題です。

自分の旅を、自分の思い出を、「映画とクロスさせながら楽しむ」。

なんて手軽で楽しいことでしょう。そろそろ「ランディング」となります。この続きはまた・・・。


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コメント

お忙しい中、ご教示ありがとうございました。
これからも興味深い空の物語やエピソードを、拝見するのを楽しみにしております。    
岡田

投稿者: M.Okada

岡田さん
気がつかずに、返信遅くなりました。すみません。
今も残る「JL002」便は、ホノルルに深夜に着いて給油・清掃してそのままシスコへ、出発。早朝にSFOアライバルでした。乗員はホノルルで全員交代しました。
ちなみにホノルル折り返しの「JL072」便は、22時発で早朝のHNL着です。早朝は各地からの到着便が重なり、イミグレーション通過には、いつも並んでいました。

投稿者: issei

偶然、貴方様のblogを拝見しました。
貴重な経験談を楽しく拝見させて戴いております。
さて、昔の日本航空でハワイ経由サンフランシスコ便について、一つ教えていただきたいのですが、当時は夜中にハワイに到着して、そのまま夜中に出発だったのでしょうか、それとも翌朝にサンフランシスコへ旅立ったのでしょうか?この点に、興味を感じました。ご教示いただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願い致します。 札幌在住 岡田 sapmo@kzh.biglobe.ne.jo

投稿者: M.Okada

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