2005.03.30

今へ引き継ぐ”空への熱き想い”

HPでは、まだお知らせいたしておりませんでしたが、3月26日日本公開された、映画「アビエーター」:ー配給 松竹ーの劇場用プログラムに、「現代(いま)に引き継ぐ、”空への熱き想い”」という一文を掲載戴きました。映画鑑賞並びにプログラムをご覧になったと思われる方から、コメントを戴きましたので、

改めて内容を披瀝させていただくと共に、「ご指摘」の点にお答えしたいと思います。

(57)

  =映画「アビエーター」劇場用プログラムに掲載=

        「現代(いま)に引き継ぐ、”空への熱き想い”」

~「空」と私と「飛行機」と。~ 

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何しろ私が、初めてジェットの飛行機に乗ったのは、乗務員として「華の航空会社」に就職してからのことでした。「これから仕事して、飛行機に乗ろうっていう者が乗ったことないでは話にならない。」と体験搭乗なるものを命じられたのです。 羽田/伊丹の往復を乗客の顔をして乗り込み、あっという間のフライトでした。日本の空の幹線すべてJET化というキャッチフレーズの下、当時の航空機としては、「B-727」の一人舞台が幕を開けた頃でした。  眩しいほどにきらきらしていました。後方からの乗り降りは、エアステアー(階段)が降りてくるタイプです。1970年北朝鮮へハイジャックされた、あの「よど号」は、まさにこの飛行機なのです。
何を隠そう、私が飛行機に乗りたいと思ったのは、「空が好き」とか「飛行機が好き」というロマンを追いかけてというよりも、「ハワイへ行きたい」という強烈な欲望を満たす為の一つの手段に過ぎなかった訳でして、30年のフライト生活のスタートラインとしては、いささか不純なものだったといえます。
しかし、この日を引き金にして、乗務生活30年、その後の「航空評論稼業」が既に7年、今後のことを考えてもほぼ「空」から離れて生きることは難しいものと思えます。

気がつけば、私も、正真正銘の「空と飛行機」バカの一人となっていたのでした。


~「速さへの飽くなき欲望」~

ライト兄弟から始まる「鳥になりたい欲望」は、空に浮かんだことで、鳥を超えて「より速く」へと進んで行きます。
太平洋(パシフィック オーシャン)で暮らす日本人にとって馴染みは薄いのですが、ヨーロッパとアメリカの間に横たわる大西洋(アトランティックオーシャン)は、まさに空の記録を作る晴れ舞台ともなっていました。1927年、チャールズ・リンドバーグが「スピリット・オブ・セントルイス号」で大西洋単独無着陸飛行を成し遂げたことは、「翼よ、あれがパリの灯だ」の名フレーズでどなたもご存知の通りですね。陸地ならまだしも、一瞬で海の藻屑と化してしまう危険性を考えれば、大変な快挙でした。しかし、このハワード・ヒューズは、12年後の1932年に、3日19時間17分の記録でリンドバーグの記録さえあっさり破ってしまいました。

後年のことになりますが、この大西洋の路線に乗り入れるということは、エアラインにとっては、世界で認知してもらえるかどうかの試金石ともなっていました。1940年代後半に、JALも世界一周便と銘打ち、ホノルル/サンフランシスコ/ニューヨークからロンドンへと路線を伸ばしました。この大西洋線は、当時、乗客が数名というのが普通でしたから、「こだわり」の背景を偲ぶ事ができます。(数年後に撤退)
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~「戦争と飛行機」~

第二次世界大戦の中で、名機と呼ばれた飛行機が数々生まれました。日本のゼロ戦(零式艦上戦闘機)、アメリカのグラマン、イギリスのスピットファイアー、ドイツのフォッカーユンケルなどに代表されます。
戦争の道具という点で、一方では悲しいことですが、商業的な採算も要らず、莫大な開発費をかけて作り上げる航空機ですから、その性能は飛躍的に進んだことも事実です。ヒューズも戦争の中で、空軍からの依頼を受けて、今ならば、ジャンボ機、エアバスにも匹敵する「750人乗り」の巨大飛行艇をも作り上げました。

さて、現代の皆さんにとっては、ヒューズが活躍した1930~40年代のプロペラの飛行機は、遠いもののように感じていることと思います。なにしろこの私でさえ、飛び始めたのが1960年代ですから至極当然です。しかし、ヒューズの足跡は、現代の民間航空や旅客機にその足跡をあちこちに残しています。まず、身近な話題から言えば、日本の政治史を賑わしたあの「ロッキード事件」。その航空機は、「ロッキードL-1011」でした。ヒューズが開発に携わったとされる「ロッキード コンステレーション機」は今も名機とされ、模型愛好家の間では変わらぬ人気機種でもあります。ロッキード社も現在は、ロッキード・マーチン社となり、商業航空機から撤退していますが、「スティルス」「U―2」など優秀な軍用機を作り出していることで知られています。
また、世界のエアラインがジェット旅客機をメインに運航し始めた頃、アメリカでは、パンナム、TWA、イースタン、ウェスタン、アメリカン、デルタなどが路線を激しく競い合っていました。中でもTWAはリンドバーグが設立し、1932年にヒューズが買収した会社です。1966年に売却したものの、国際線を独占していたパンナムとの路線争いは、熾烈
に展開されました。1978年頃までは順調だったアメリカの航空業界も、その後カーター政権時に行われた「ディレギュレーション=規制緩和」で大手エアラインは壊滅状態に陥り、あの巨大パンナムさえも消え去り、TWAはアメリカン航空に吸収合併されてしまいました。なんとも、皮肉な話でした。
このように1970年代各エアラインが繁栄を謳歌していた頃の航空機は、ボーイング社のB-707とダグラス社のDC-8が世界を二分して活躍をしておりましたが、時代はボーイングへと移り始めていました。
そして、1970年代半ば、いわゆるジャンボ機(B-747)の出現によって、「大量輸送」時代の幕が切って落とされ、世界の空港で、エアラインを異にしてもジャンボ機を見ないことはないという風景へと変わっていったのです。

~「速く」から「快適に」へ~

スピードを追い求めて生まれた、あの怪鳥「コンコルド」は、華やかな大西洋に就航していましたが、速さでは、いまだに譲るものがないものの、経済効率と耳をつんざく轟音が災いしてリタイヤを余儀なくされてしまいました。
私が体験している限りでも、かつて、70年代初めまで、北極回りヨーロッパ線では、今からすれば驚きですが、パイロットの他にナビゲーターが乗り組み、コックピット内から星を見ながら(天測)確認するという航法も行われていました。しかし、コンピューター搭載で航空機のハイテク化は格段に進み、ナビゲーションどころか、機体の軽量化、操作性、航続距離の面でも考えられない発展を遂げてきています。
そして、世界の航空機メーカーの動向は、ダグラスがボーイングに吸収されたことで、エアバス社とボーイング社のシェアー争いに絞られてきています。コンコルドで速さを追求してきたヨーロッパEU勢、大量輸送を柱にジャンボ機で攻勢をかけてきたアメリカボーイングという図式でしたが、B777.B787など中型ハイテク機による機動力を売りにし始めたボーイング社、総2階で800席も可能というA380を華々しく発表し、長距離大量輸送・快適性をセールスポイントにしている「エアバス社」という様相に変わってきています。
どちらの思惑が的を射るのか、これからが見ものです。


ともあれ、「より速く」に命を懸けて奮闘した「ハワード・ヒューズ」の夢と心意気は、「より速く、機内はよりゆったりと快適に、そして万全の安全性」という命題を投げかけつつ、次々と生まれる「飛行機野郎」の中に生き続けて行くことでしょう。

【ご指摘の点について】
⇒フォッカーはオランダの会社で、しかも第二次大戦には反戦の意を表明しドイツ軍に協力しなかったというのは飛行機好きなら常識だと思いますし、ましてやユンケルなんて飛行機もありません。

Ans⇒
第二次大戦中の名機という中で、ドイツを代表するといえば私の頭の中でも「メッサーシュミット」と挙げるはずが、「フォッカー ユンケル」と記してしまいました。
少年時代(46,7年前)に級友と「丸」という雑誌を挟んで語り合った時のことが「鮮烈にあたまに残っていたゆえか、ミスを致しました。
戦闘機を並べたのだから、という点で「飛行機ファン」の皆様をいらいらさせて申し訳ありませんでした。なお、「フォッカー ユンケル」については以下の通りです。

☆フォッカーは、(フォッカーDr.Ⅶ)で、第1次大戦において、撃墜王リヒトホーヘン男爵(レッドバロン)の乗機として有名、 ドイツ側で最高と言われた戦闘機でした。第一次大戦でしたので明らかに誤りです。

☆また「ユンケル」は、読み方に問題があったとは思いますが、Junkers's(ユンカース)のことで、爆撃機ユンカース EF-130,これに続くEF-140は、特にアメリカ本土爆撃を目的に作られた後続距離6000キロ10発エンジンという当時としては(終戦近い1945年頃?)途方もない規模で有名だったと記憶しています。ヒューズが作った「大飛行艇」とどこか相通ずるものを感じます。


⇒ヒューズのエピソードとは殆ど関係ないの文章なのもあまりといえばあまりですが

Ans
⇒私は、私の切り口で書いておりますので、この点はお読みいただいた方のご感想におまかせするしかないと考えております。

【他のコメント】
 コメントはメールにて他にも寄せられておりますので、いくつかご紹介させていただきます


★読ませて頂きました。映画のヒツトは間違い無いでしょう。 T.Sさん(男性)

★ 「アビエーター」劇場用プログラム掲載の解説記事、読ませて頂きました。航空機と航空技術に関する産業・経済面の変遷を平易に概観する記事でありながら、秀島さんの「空への熱き想い」を余すところなく伝えているのが魅力です。ハワイに行きたい! 一瞬、「ブルーハワイ」を歌うプレスリーの若く美しかった姿が瞼に浮かび、甘い声が耳に流れました。そうでした、そういう時代でした。あの時代のハワイのイメージはあの時代の私たちだけのものです。 M.Nさん(女性)
★楽しんで拝見させていただきました。 M.Kさん(男性)
★懐かしい名前を聞きました。 わたしが中学のころ「世界ノンフィクション全集」のなかで彼自身が書いていました。「事態の進行(着氷)が早い、副操縦士だったヒューズは、機長がエンジンへの燃料を切ることに驚く、その結果、吸気穴からつよい炎のような空気の噴流ができ氷を叩き落す、そして飛行機はパワーを取り戻す。
機長いわく「これがDC3でなければ飛ばしてはいられない・・・わたしはニューヨークの博物館で「DC3」を見ましたがその小さいのに驚きました。いや、今回は昔読んだことを思い出させてくださりありがとうございます。 M.Hさん(男性)
★楽しく懐かしく、読ませて頂きました。有難うございました。
                          元B-747航空機関士  H.Oさん (男性) 
★とても素敵なコラムですね!楽しく拝読しました。
   1960年代がどんな時代であったかを思わせる、感慨深い一文でした。映画『アビエーター』は賛否両論のようですが、秀島さんのおかげで見る楽しみが増えました。        雑誌編集者   A.Kさん(女性)

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コメント

ボーイング787の製品シェアを見ると日本が高いことが分ります。
一方、昨今交通業界で自己やミスが多発しています。
日本の技術が世界一の安全を作り出すようになってほしいと考えております。

投稿者: ふじすえ健三

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民主党参議院議員 ふじすえ健三
» 日本の航空機産業
先日のエントリーの続きです。 前回、日本企業のボーイング787における製造シェア...

Tracked : Jul 7, 2005, 3:14:15 PM

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