2005.01.19

星降る夜に!(51)「趙紫陽さん御逝去」に深い哀悼の意を表します!

    ~やさしい語り口が忘れられません~
四十代からゴルフを始めた私は、フライトで訪れた世界各地で「プレーができる余裕がある限りは、天候の如何にかかわらず、必ずラウンドする」を身上としていました。世界の文化をゴルフを通じて垣間見るなどとたいそうなことを大義名分として唱えておりました。パリでは、できたばかりの、「ユーロディズニーランド」にも行きたいというCAに「日本人旅行者多しと言えども、ランドの外からラウンドしながら見る人なんてまずいないんじゃないかな。クルーだから出来ることを出来る時にやらなくちゃ。」など訳のわからないことを言っては、次々とゴルフ場制覇をしてゆきました。私の場合、その後の時に恵まれず、ユーロディズニーカントリークラブは体験していても、結局ディズニー本体には、ゆけずじまいとなりました。当時、航空券・ホテルの手配などで、ジャンボ尾崎さんの海外ツアー参戦のお手伝いをしていたこともあって、有名プロゴルファーの方々と広くおつきあいをしていました。その方達に向かって無謀にも、「あなたには絶対負けない」と挑発、むっとしたところで「スコアーではないよ。世界のゴルフ場をどのくらいラウンドしたかということだけど・・。」とおちをつける会話を良くしたものでした。そのくらい入れあげていたということですね。

さて、こんな勢いでしたから、中国・ベイジン(北京)ステイ中も例外ではありませんでした。

80年代のある日、その日は、空は真っ青、晴天でした。郊外の本格的ゴルフ場はあいにく休みということなので、ゴルフの虫と化していた私は、9ホールしかないミニゴルフ場(確か朝陽かとおもいますが・・。)なのですが、ホテルから車で10分という便利さに惹かれて出かけました。
その折、一緒したCAは、ゴルフシューズを持っておらず、スニーカー、キャディーさんに大目に見てもらい、グリーン上は裸足になってプレーということで今でもはっきり覚えております。(すみません・・。)
ゴルフ場の第一印象といえば、芝が長くて、ねっとりしており、なかなかフェアウェーでも転がらない、グリーンが青々して綺麗だ~というようなことでした。ラウンドは、1ホールおいた前に3人の組がまわっているのは見えましたが、あまりひと気を感じません。ラウンド半ばになって、キャディーさんに何気なく「どのくらいの組がプレーしてるの?」と聞いたところ、まわっているのは私たちと前の組だけ、そして前の組はなんと「趙紫陽首相」ということでした。思わず、プレーも緊張してきたことはいうまでもありません。そのことがわかってからは、同伴のCAはボールがグリーンに乗ったらOK、いわゆる田中角栄流でこなしました。

Zhaoziyang2

クラブハウスに上がって、幸運にも「趙紫陽首相」というより「趙おじさん」と話を交わす機会を得ました。
ゴルフ談義と取り留めのない話ではありましたが、政治家にありがちな高圧的な雰囲気もなく、ひたすら充分なあたたかさを放つ語り口でありました。
その後、おじさんは、87年に総書記に就任。89年の「天安門事件」の折には、武力制圧でなく「話し合いによる平和的解決の先頭」にたたれました。
あの語り口のやさしさは、本当のやさしさを内包していたことを後にしみじみとあじわうことになりました。
中国での超おじさんへの評価がどうあれ、じかに接することが出来たひとりとして、
    ここに深い哀悼の意を表するものです。

詳しくは、
現代中国ライブラリ人物辞典 趙紫陽  ちょう・しよう  Zhao Ziyang  1919--2005


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