2003.09.06

「YS-11」が奏でる、ものがたり。

~日本のエアラインの栄枯盛衰?~

YS-11は、戦後初の国産旅客機で、レシプロとジェットの中間とも言われるターボプロップエンジン搭載ということで、当時華々しくデビューしたものでした。
 日本航空は、福岡=プサン線にそれまで就航させていたDC-6B型機に代え、1969年(昭44)4月1日に当時の日本国内航空から乗員つきでリースして、YS-11A型機(JA8717、「あそ」号)として、大阪=福岡=プサン線を、週3往復で運航しました。 しかし、時をおかず、翌年4月には、B727型機へと機種変更を行いました。

当時の国内幹線は、ANAのビッカースバイカウント機に対抗の機種として既にジェットの幕開けのスターとして「B-727」が主役の座を待っていたわけですから、「YS-11」誕生の時代が不運であったともいえるでしょう。
こうした、時代背景で、日本航空では、実質的に誰も(運航・客室乗務員)乗務していないわけです。

この飛行機がバリバリに飛んでいるころは、羽田空港が国際線を含め日本の空の玄関として機能していた時でもあります。

羽田空港内にあるオペレーションセンターを基地として乗務にあたり、同時に労働組合の役員も務めていた私にとっては、「このYS機材には、乗務したことはない。」といっても、思い出には、格別なものがあります。いわゆるハンガー(格納庫)に隣接した労働組合事務所の窓越しに、YSの勇姿を絶えず見ていたこと、ターボプロップ特有の「キィーン」というエンジン始動時からタクシングして誘導路に入っていくまで、の「音」には、好むと好まざるとにかかわらず、しばらくは、会話を中断して、じっと待たねばならなかったことです。その折は、単に「うるさい!」としか感じなかったことも今は、「貴重な記憶のレコード」となるような気がします。

この「YS-11」の所有会社は、当時の日本国内航空、から東亜航空と日本国内航空が合併して、東亜国内航空となり、更に日本エアシステムとなり、そのJAS(日本エアシステム)がJALに実質吸収された形になった今、JAL、(正確にはJALシステム )で退役を迎えたことになる訳です。

この「YS-11」の誕生デビューから退役までのヒストリーは、そのまま、日本の国内民間航空の歴史というか、「栄枯盛衰の物語」を奏でているようでもあり、一種複雑な心境にさせられます。

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